育てるな!上も下もなくリスペクトをして対等にいこう!
教育してくれる?
すまん!願い下げる!!!
あんたから教えて貰うことなんて何もない。
俺がいいと思ったら勝手に盗む。
お互い様だろ?あんたも勝手に盗めばいい。
「優れた芸術家は真似(まね)、偉大な芸術家は盗む」
ピカソの言う通りさ。
おこがましいぜ!あんた何様だ?
あんたのちっぽけな自尊心を一時的に満たすために俺は存在していないし、
あんたもそんな満たされない足し算はさっさとやめたらどうだい。
そんなくだらないことの為に生きているのか?
せっかくの命が泣いてるぜ。
あなたに協力してほしいならはっきりそう言うし、変な駆け引きなんてダサすぎてクソくらえだ!
共に何かをするなら大歓迎だが、条件はただ一つ。
対等(=)であること。
それが受け入れられないお子ちゃまとは悪いがいっしょに出来ないぜ。
(年とって年下をリスペクトできないお子ちゃまも、自分なんておこがましいですと嘘のおべんちゃらほざいてるお子ちゃまも)
もう↑上とか↓下とかおくんじゃねえ。
リスペクトから来る対等=じゃなきゃどうせうまくいかないからさ、時間短縮になっていいや。
俺自身も、無意識に教育しようと不必要な圧や期待をかけてたわ!
ごめんな!!!
うっとおしいよな!自分がやられてるからめちゃわかるわ。
対等にいこう。
自分を下げるでも上げるでもなく、そのままで。
あんたを上げるでも下げるでもなく、そのままで。
そういう付き合いを出来る人と協力して、共に育っていくんだ。
そういう人を俺は国籍、年齢、性別問わず「仲間」と呼ぶんだ。
さあ!
74億人の中にいるまだ見ぬ仲間と繋がりにいこう!!!
やっほーい!!!!
忍術でもええで~こだわらないことにこだわりたい
「法則を頭から、あたかも『真実』のように思い込めていたのか。
―それは多分、疑うことが面倒だからだ。疑うことが。ストレスだからだ。」
by貝木泥舟(詐欺師)
物事には順序や順番があって、こうでなければならない。
体系的にはこうだ。
こうする為にはこうやって、こうしよう!
そうするとこうなってこうなるはずだ。
ロジカルシンキングや論理的思考。
ちまたに溢れている「事例」「考え方」の数々。
そういうものに触れると自分も安心するし、皆も安心する。
「うんうん」と無意識に首を縦に振るだろう。
脳は余計なエネルギー消費を嫌うので楽をしたいからね。
頭の固い人はその人の数だけ「ねばならい」があって、それに固執している場合そうじゃなかったら猛烈に反発する。
彼らは「与えられた」問題や課題を固執しているやり方や自分の「専門」で解決することが得意だし、好きだし、楽だ。
自分も至るところで陥っている。
自分の専門はこうだから、これを売りにしなければ。
こうやって、こうして、こうしたいと頭の中で組み立てて、そうならなかったり、それが妨害されると怒ったり。
冷静になってみるとキャパの狭さが笑える。
四角四面で捉えがちだからこそ、頭柔らかくいたい。
ついでに自分にも人にも柔らかく接したい。
発想は柔らかく、でも伝える時は皆さんが安心して受け取れる状態やカタチにしてね。
この世はもともと説明がつかないものだらけなんだけど、とかく無理やり説明して「法則」とか「真実」にしたがるね。
別にいいじゃん、うまくいけば。
でも人と会うときにカッコつけたがるから、あたかも狙ってましたよって感じにしたいんだろうな。
プロセスに拘るのはカッコつけてて、頭固くなってるからだな。
あんなやり方はダメだとか。
あんなやつにとか。
なんやかんやで感情的な部分が多い。
それって色々やってみて、これが好きでの「こだわり」とはまた違うもんね。
忍術でもええで
初代南極越冬隊の西堀榮三郎隊長の言葉を思い出した。
西堀隊長は隊員に電気を起こすよう指示する。
ただある事情で石油はない。
そこで隊長は隊員にこう伝える。
「忍術でもええで」
とにかく何がなんでも電気を起こしてほしい。忍術で電気を起こしても構わない。
そう言われると隊員は「石油がないから電気を起こせません」とは言えない。
隊員は知恵を絞ったあげく、アザラシの油で電気を起こしたという。
・必ず電気を起こさねばならない(切迫感)
・よくよく考えてみれば、石油以外の燃料でも発電機は動く(考えてみりゃ)
・燃料は有機物であり、動物の油も有機物である(知識)
こだわらないことにこだわりたい。
だってその方が面白じゃん。
手放すことでモノになる。
すべてのモノは手放すことが目的となる。
自由とは手放すことだろう。
スペースを作ることだろう。
それは容量を圧縮することだろう。
自分におけるそのモノが占める割合を減らすことだろう。
半自動化、無意識にできるようになっていることだろう。
捉われなくなっていることだろう。
うん!もう十分やったからいいや。
これはもう出来るからいいや。
しっかり味わったからいいや。
自己に対する思い込みや便利な道具もこれに近い。
これがないと。
自分はこうだから。
汝自身を知れ
とは、知って終わりではなく。
知ったからこそ、十分に味わってそこに捉われるなということだろう。
何かを学んだり、取り入れることは新しい枠の始まりでもあるんだ。
手放すことで本当の意味でモノにしている。
力んで生み出すのではなく、繋がりを見つける
繋がりを見つけるだけ
全てにおいてすることは繋がりを見つけるだけ。
全ては既に繋がっている
気付いていないのは自分だけ
だから、何か新しいものを生み出そうとする時に闇雲に無から有を生み出そうとするのではなく、自分の中にある繋がりの要素に目を向けるといい。
いつも、いかなる時もさまざまな要素が繋がりの発見を待っている。
大切だからもう一度。
全てはもうすでに繋がっている。
気付いていないのは自分だけ。
力まず、焦らず、落ち着いて自分の中やこれまでの人の言葉、風が頬をかすめる感覚、なんとなく気になるものに目を向ける。
きっと確信を深めることになっていくだろう。
自信や確信、信頼は作るものではない、気付いて繋がっていくものなのだ。
自分のなんとなくの情熱や興味、ワクワクが知ってるだろ?
言葉の定義に捉われるな。
定義することにとらわれて止まるよりも繋げていこう、そして動いていこう。
するとどんどん気付いて自然にわかってくる。
Just to be.
Everything is prepared.
あなたがあなた自身である時、全ては用意されている。
全部準備されてて既に満たされてるから、ありのままで動こう!
教えてくれて、ありがとう。
「凄いですね」のかつあげは死ぬほどダサイからやめようね
「スゴイデスネ」
それが欲しいがために全ての活動をしている【虚栄心】に飲み込まれた亡者ども!
もういい加減にしてくれないか。
いちいちリアクションするのがめんどくさい。
あなたがどれだけ満たされない日々を送っていようが、愛されずに育ったかなど知ったこっちゃない。
自分にも人にも嘘をついて、一瞬の気持ちよさを感じたところでこの先もずっと人と比べて落ち込んで、調子乗って、また落ち込んでの繰り返しをするんだろ?
そのくだらなさと滑稽さも、いい加減もう見飽きてイタイぜ!
一生上っ面のサシスセソを追い求めて、穴の空いた心のバケツに虚栄心を満たしなよ。
サ「さすがですね!」
シ「知らなかったです!」「信頼しています!」
ス「すごいですね!」「素敵です!」
セ「センスがいいですね!」
ソ「そうなんですか!」「尊敬します!」
ほれほれ?大好物だろ!よかったな!
ただな、もうカツアゲはするなよ。
見てるこっちが死にたくなるほどダサイから。。。
満たされないからと安っぽい刺激を追い求めるかわりに
既に満たされているものにたったひとつでも気が付いた瞬間に
きっと別世界にワープしてるよ。
そこでこそ会おう!