手放すことでモノになる。
すべてのモノは手放すことが目的となる。
自由とは手放すことだろう。
スペースを作ることだろう。
それは容量を圧縮することだろう。
自分におけるそのモノが占める割合を減らすことだろう。
半自動化、無意識にできるようになっていることだろう。
捉われなくなっていることだろう。
うん!もう十分やったからいいや。
これはもう出来るからいいや。
しっかり味わったからいいや。
自己に対する思い込みや便利な道具もこれに近い。
これがないと。
自分はこうだから。
汝自身を知れ
とは、知って終わりではなく。
知ったからこそ、十分に味わってそこに捉われるなということだろう。
何かを学んだり、取り入れることは新しい枠の始まりでもあるんだ。
手放すことで本当の意味でモノにしている。