忍術でもええで~こだわらないことにこだわりたい

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「法則を頭から、あたかも『真実』のように思い込めていたのか。
―それは多分、疑うことが面倒だからだ。疑うことが。ストレスだからだ。」
by貝木泥舟(詐欺師)


物事には順序や順番があって、こうでなければならない。
体系的にはこうだ。

こうする為にはこうやって、こうしよう!
そうするとこうなってこうなるはずだ。

ロジカルシンキングや論理的思考。
ちまたに溢れている「事例」「考え方」の数々。

 

そういうものに触れると自分も安心するし、皆も安心する。
「うんうん」と無意識に首を縦に振るだろう。

 

脳は余計なエネルギー消費を嫌うので楽をしたいからね。

 

頭の固い人はその人の数だけ「ねばならい」があって、それに固執している場合そうじゃなかったら猛烈に反発する。
彼らは「与えられた」問題や課題を固執しているやり方や自分の「専門」で解決することが得意だし、好きだし、楽だ。

 

自分も至るところで陥っている。

自分の専門はこうだから、これを売りにしなければ。
こうやって、こうして、こうしたいと頭の中で組み立てて、そうならなかったり、それが妨害されると怒ったり。

冷静になってみるとキャパの狭さが笑える。
四角四面で捉えがちだからこそ、頭柔らかくいたい。
ついでに自分にも人にも柔らかく接したい。

 

発想は柔らかく、でも伝える時は皆さんが安心して受け取れる状態やカタチにしてね。

 

この世はもともと説明がつかないものだらけなんだけど、とかく無理やり説明して「法則」とか「真実」にしたがるね。
別にいいじゃん、うまくいけば。
でも人と会うときにカッコつけたがるから、あたかも狙ってましたよって感じにしたいんだろうな。

プロセスに拘るのはカッコつけてて、頭固くなってるからだな。
あんなやり方はダメだとか。
あんなやつにとか。
なんやかんやで感情的な部分が多い。

 

それって色々やってみて、これが好きでの「こだわり」とはまた違うもんね。

忍術でもええで

初代南極越冬隊の西堀榮三郎隊長の言葉を思い出した。

西堀隊長は隊員に電気を起こすよう指示する。
ただある事情で石油はない。

そこで隊長は隊員にこう伝える。

「忍術でもええで」

とにかく何がなんでも電気を起こしてほしい。忍術で電気を起こしても構わない。

そう言われると隊員は「石油がないから電気を起こせません」とは言えない。
隊員は知恵を絞ったあげく、アザラシの油で電気を起こしたという。

・必ず電気を起こさねばならない(切迫感)
・よくよく考えてみれば、石油以外の燃料でも発電機は動く(考えてみりゃ)
・燃料は有機物であり、動物の油も有機物である(知識)

 

こだわらないことにこだわりたい。

だってその方が面白じゃん。